vegetables

 

1,carrot

 

「ごめん、取引先だ」
 

携帯画面を確認した太乙は、両手を顔の前で合わせて席を立つ。
小さな声で応対しながら、そのまま急ぎ足で店の外へ出て行った。
空席に残された白い皿には、オレンジ色の小山。俺はため息をつきながら、フォークを持つ右手をのばす。

 
「君も毎度毎度大変だねえ」
 

のんびりと食後のコーヒーをすすりながら同情されても、あんまり嬉しくない。

 

 

太乙はニンジンが嫌いだ。

 
「野菜のくせになんで甘ったるいのさ。くどいし、土臭いし」
 

太乙が最初にオレンジの小山を前にそうのたまった時、俺はうっかり言ってしまったのだ。
じゃあ俺が食ってやるよ、と。
思えば俺はかなり早い段階から、あいつを友達以上と見なしていたらしい。

 

 

「君もニンジン嫌いなのにねえ」
 

ニヤリと笑う雲中子が、涙でかすかにぼやける。
くそっ、なんでこんなにまずいんだ。散々食べているのにちっとも慣れやしない。
からかいながらも、外の太乙を気にかけつつフォークを手に取るあたり、雲中子も優しい奴だ。

 
「なんでこんなにおいしいものを、君たちは嫌いなんだろうねえ」
「そう思うならお前が食ってやれよ」
「君の見せ場を奪っちゃ悪いだろ?」
 

・・・・・前言撤回。やっぱり面白がっているだけだ。
二人で半分ずつくらい食べて皿を空にして間もなく、太乙が戻って来た。

 
「ごめんね、食事中に。・・・あ、食べてくれたんだ。ありがとね、道徳」
 

にっこり。
たったこれだけのことが嬉しくて、吐きそうになりながら嫌いな物を食う俺は、やっぱり馬鹿なんだろうか。
意味ありげに目配せをする友人は、口に出さなくてもそう思っているに違いない。

 

 

 

2,cabbage

 

たとえば人が、僕を外側からどんどん剥いていったら。
内に進むにつれ小さくなっていく葉に幻滅して、途中で見向きもされなくなると思っていた。
食べかけで捨てられる自分を想像するたび、絶望的な気持ちになった。

 
「それなら丸飲みさせればよい」
 

そんな蛇でもあるまいし、と一瞬思った。
だけど僕は知っている。小さな身体のこの人が、意外と大食らいだということを。

 
「ひとたび腹におさまってしまえば、消化されて内も外もわからんようになるだろうよ」
 

あなたの腹でどろどろに溶けてひとつに混ざった僕は、元のかたちも忘れてしまいそうなのだ。

 

 

 

3,tomato

 

愛撫をほどこしていくごとに、太乙の身体が熱をはらんでいく。
白い肌が段々と赤く染まっていくのを見るのは、堪えようのない快感だ。熟れていく、という表現がしっくりくる。

 
「おまえはきれいだな」
 

鮮やかな変化は何度も目にしているはずなのに、その度ごとに見惚れてしまう。太乙は上目遣いに私を見た。

 
「なんかヤらしー」
 

ふざけたようなそんな言い草は、照れている証拠だ。
整った顔立ちがどこか人形を思わせる太乙だが、普段は血の気が足りない頬に赤味が差すだけで、がらりと印象が変わる。
小さな顔を両手で包んで、息もつかせぬ深い口づけをする。

 

幸せはとても甘くて、ほんのりすっぱい。

 

 

 

4.cucumber

 

くよくよ悩むなんて柄じゃない俺っちでも、それなりに不安になることはある。
親父を越えたいって目標だけは小さいころからはっきりしているけど、具体的になにをやりたいってことが見つからない。
身体を動かすのが性に合ってるとは思うけど、だからなにをしたいっていうのはない。

俺っち、どう生きていったらいいんだろう。

 
「天化」
 

急に声をかけられて我に返ると、ちょうど巨体が目の前にどさりと腰を下ろすところだった。
太い腕が伸びてくる・・・・ごつごつした手には一本のキュウリ。

 
「取れたてだ。食ってみろ」
 

洗っただけのキュウリ。庭で育てたやつだから、売っているのよりも小さくてぶかっこうだ。
言われるままに一口かじると、目が覚めるような青みが口の中にほとばしった。
ほんと、ほとばしるとしか言いようがない感じ。感覚が一瞬のうちに抜けていく。
あとにはなんとも言えない清涼感だけが残った。
こんな淡い食べ物だったっけか。

 
「うまいだろ」
 

にっと笑いかけられて、もやもやしていたものがどこかに行ってしまったと気がつく。
俺っちはやっぱり、くよくよ悩むなんて柄じゃねえらしい。

 

 

 

5,onion

 

「帰るのが億劫」という理由だけでずるずると楊ぜんの家に泊まっていた太公望は、久しぶりの我が家の戸を開けるなり、ぎょっとした。

 
「おかえり、望ちゃん」
「おぬし・・・・・・なんで泣いておるのだ?」
 

迎えた普賢はいつもの笑顔のまま泣いている。まるでお天気雨だ。
疚しいところがないわけでもない太公望は、一応気を使ってみせる。

 
「なんでだと思う?」
「おい」
「ありきたりな理由だよ」
「・・・・・・タマネギを切っておった、とか?」
 

幼い頃から共に過ごしてきた太公望も、普賢が泣く姿などほとんど見たことがない。
彼が涙を流すなんて一大事件だ。重大事が起きているようには見えないから、大方そんな理由だろう。
冷静に考えつつ、太公望の心のどこかがざわついている。他の理由だとしたら、それは何だ?
普賢が一歩近寄る。靴も脱がずに三和土に立ち尽くす太公望の耳元に、口を近づけた。

 
「寂しかったんだよ」
 

固まってしまった太公望に、普賢はくるりと背中を向けた。手の甲で目元をぬぐいながら、まっすぐ部屋に戻って行く。
半開きのドアの向こうに普賢が消えて、入れ替わるように軽快なリズムが聞こえてきた。
タンタンタンタンタンタンタン・・・。

 
「やはりただの生理現象ではないか・・・」
 

全身の力が抜けた太公望は、肩にかけていた荷物を床に落とす。
寂しかったのは自分の方かもしれないと気づき、妙な敗北感に襲われるのだった。

 

 

 

 

fin

3,cabbageは楊ぜんと太公望です。

[12/12/17]

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