太乙真人の表と裏

 

※以下、「原作では太乙にページを割けなかっただけでしょ」というツッコミはなしでお願いします(笑)

原作では「おちゃらけキャラ」的な立ち位置の太乙ですが、本当はすごく深い人なんじゃないかと思っています。見せている顔と内面に大きなギャップがある気がする。

そのイメージが私の中で決定的になったのは、仙界大戦後です。
それほど重要なポジションにいないキャラでも「大戦で失ったもの」に思いを馳せるシーンが描かれているのに、太乙はそういうシーンがないんですよね。「ああ、悲しんでいるところを見せられない人なのか」と思いました。ナタクが崑崙のために戦うことを願い、第二の崑崙を作った太乙が、あの戦いで傷つかなかったはずがありませんから。

太乙が表と裏を持つのは、元々の性格なんでしょうね。それとなんといっても十二仙としての立場!
太乙は仰ぎ見られるようなキャラじゃないので、一見「偉い人」な感じがしないです。(そういう意味で正しい十二仙は玉鼎になるのかな)でも注意して見てみると、太乙は馬鹿にされるようなことはしても、周りの戦意を下げたり、誰かを不安にさせるようなことは絶対にしないんですよね。

太乙は十二仙の役割を「道士たちを団結させ、鼓舞する」ことだと考え、そのように振舞っていたのではないでしょうか。必要とあらば、自分を馬鹿に見せて緊張感を緩和するくらいのことはやっていたかもしれません。(注・管理人は太乙ファン)「カメラ目線」が代名詞の彼なら、自分がどのように見られるのかをかなり意識していたのでしょうし。

そんな太乙が素顔を見せられるのは、やっぱり十二仙(の一部?)でしょう。
あとは太公望なのかな?重責を担う太公望には、やはり本心を隠すことが多そうですが。ただナタクvs馬元戦の様子を見ていると、太公望に芯から心を許している気配は伝わってきます。

ナタクvs馬元戦といえば、天化と蝉玉があの場に居合わせられなかったのは、素の太乙の苦悶を描くためだったのかな、なんて思ったりもします。さすがにこれは勘ぐりすぎか。

深読みしすぎ・飛躍しすぎなところもある気がしますが(笑)私の中の太乙像はこんな感じです。
更に、表に出せないことがいっぱいあるということで「寂しい人」というマイ設定です。原作は遠くなりにけり。

 

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