人間界の夜は暗い。技術の進歩が仙界に比べ千年単位で遅れているのだから、いたしかたない。
とはいえ都心部はそれなりに明るかっただろうか、と普賢は記憶をたどる。すでに仙界に来てからの時間が人間だった時間を超えており、地上の記憶は大分おぼろげになっていた。
「星がよく見えないね」
だだっ広い荒れ野を見下ろす高台で、探し人は膝を抱えて地面に座っていた。
いつもと同じ口調で話しかけると、背中を向けたままの人がゆっくりと応じる。
「月が、明るすぎるのかもしれんのう」
「眠れないの?」
「星が見たくて」
先ほど自分がかけた言葉を引いているのだろうか、と一瞬普賢は思った。そのわりに太公望の返事に冗談めいた響きはない。普賢は太公望の横に腰を下ろす。
「おぬし、どうしてここがわかった」
「白鶴が教えてくれた。迎えに行ってやれって」
「お節介な奴め」
太公望の悪態が白鶴に向けられているのか自分に向けられているのか、普賢にはわからなかった。恐らく両方だろう。
それには何も言わず、眼下に広がる景色に視線を転じる。
焼け落ちた家の残骸。獣に食われたのか、バラバラに散らばる死体。墓標かなにかのように地面に刺さっている折れた刀。
太公望が何時間も相対していた光景だ。
「一週間前らしいね」
人間界のできごとが仙界に伝わってくるまでにはどうしてもタイムラグがある。辺境の少数民族にすぎない羌族のことになるとなおさらだ。
「その時に来ても煙があがっていて、やはり星はよく見えなかっただろうな」
「----そうだろうね」
戦を経験したことがない普賢は、戦が終わったばかりの戦場の様子を知らない。しかし、過去を振り返るような太公望の言葉に小さく首肯した。同時に太公望が本気で星を見たがっているらしいと気づく。
「どうして今日に限って星を」
君に天体観測の趣味はなかったと思うけど、と続けると、表情のなかった太公望が初めて苦笑めいたものを見せた。
「死んだ人間は星になるらしい。いつだったか、玉鼎がそう言っていた」
「そう」
「羌には死者が土に還るという言い伝えがあるらしいが、一族の者からは聞かずじまいだった。
わしがまだ幼かったせいかもしれん。
空と地と、お主はどちらが本当だと思う?普賢」
普賢は無残な地上の光景から、再び美しい夜空に視線を戻した。静かに答える。
「変わらないよ」
どちらだとしても、何も。
「そうだな」
太公望は間髪いれずに短く答えた。そしてゆっくりと立ち上がる。
「帰ろう、普賢」
「そうだね、黄巾力士はあっちだ」
普賢も立ち上がり、暗い道を先に立って歩き出す。太公望はその背中に、わざと軽い調子で言った。
「こんな時間に、すまぬな」
「僕はそのためにいるんだよ」
二人は振り返ることなく、黄巾力士に乗り込んだ。
fin
ゴッホの同名の絵から思いついた作品ですが、星がよく見えないのに「星月夜」というのも妙でしたね。
当初は太子との戦いの後の設定でした。
[2010]