君を裏切る祈りとして

 

この老人の呼び出しは、たいていろくなものではないに決まっている。

 
「ところで、雲中子よ。ナタクの修理を覚えてみる気はないか?」
 

背後で扉が閉まる音がしてから、たっぷり1分はあった。そのくせ、まるで重要な意味など持たない雑談のように切り出す。
ほらね。やっぱりろくな話じゃなかった。私は表情を変えずに応じる。目の前の男には年季で負けるが、私だってポーカーフェイスは苦手じゃない方だ。

 
「ありません」
「ほう。なぜじゃ」
 

けんもほろろに拒絶されても、顔の筋肉一つ動かさない。予想通りということか。
もっとも老獪で厄介な老人のこと。万一私が素直に引き受けることを期待していたのだとしても、落胆や怒りを表に出すわけがない。
私はこの男が嫌いだ。

 
「能力不足ですから」
「開発段階で随分おぬしが手を貸したと聞いておるぞ」
「私は自分の専門分野の範囲内で助言をしただけです。
 全体像を把握しているわけではありません」
「これから学べばすむ話であろう。
 おぬしとて、全く心得も関心もない部門ではない」
 

崑崙教主の名に恥じず、この老人は全分野に精通している。要するに私の能力の範囲も正確に把握しているということだ。下手な断り方をしたら、つけこまれてしまうだろう。

 
「私が持つのは単なる知識。太乙のかわりが務まるほど
 熟練した技術を身につけるとなったら、何百年かかることやら」
「・・・・・」
 

彼は自分以上に秀でた弟子の力量のほども、きちんとわかっている。

 
「それにナタクは宝貝とはいえ、れっきとした人間。
 修理の際には普通の宝貝と比べ物にならないほど、
 設計図に書き込むことのできないような微妙な勘と感覚が求められます。
 たとえ手順を学んだところで、そのような第六感まで身につくかどうか。
 ナタクが大切な戦力であるなら、最高の状態にメンテナンスできる人間が
 修理にあたるべきでしょう」
「・・・・確かにおぬしの言うことは理屈だが、本心は別のところにあるのじゃろう」
 

見透かすように、教主は笑った。癇に障る笑い方だ。

 
「よい。ナタクの修理はこれまで通り太乙に任せる」
「他に用件はございませんか?それでしたら失礼します」
 

おざなりに頭を下げる。解放感も安堵もなく、コールタールのようなべっとりとした不快感だけが残った。
髭だらけの面に唾を吐きつけたいのをこらえて、出口に向かった。

 

 

 

 

「なんの用だったの?」

先に退出させられて外で待っていた太乙は、壁にもたれて巻物を立ち読みしていた。彼に下された指令なのだろう。

 
「雷震子をいつ地上にやるかって話さ」
「ふうん」
 

太乙は全然信じていない様子だった。けれどもそれ以上追及することはなく、暑いねえと空を仰ぐ。逆光で細長い身体が影のように見えた。全身から力が抜けていくような感覚が襲ってくる。

 

元々くそジジイの目的は私から承諾を引き出すことではなく、どう答えるかを確かめることだったのかもしれない。
そう考えるとますます嫌悪感が募ったが、どちらにせよ私にできる答えは決まっていたのだ。
最有力戦士のナタクを修理できる、代わりのきかない技術者。このことが太乙のお守りになる。彼を前線から遠ざける。そして本当にぎりぎりの局面で、彼の命を助けることになるだろう。
だがそれは十二仙としてただ一人違う戦場を、太乙に強いるということだった。

きっと教主の提案を一番歓迎するのは太乙自身なのだ。彼は仲間を送り出すことより、共に戦うことを望んでいるのだから。知っていながらその道を断った私は、彼に酷なことをしているのかもしれない。けれど友達が死に近づいて行くのをむざむざ見過ごすことなんてできるわけがないのだ。
私を許さなくて構わないよ。

 

 
「ごめんね、太乙」
「急になんだい?」
「いや、思ったより長く待たせたし。それにこの暑さは、こもりきりの君はこたえるだろう?」
「本当だよ。君の洞府で冷たい飲み物もらうからね」
「君、時々命知らずだよね」
 

友人は何かを察して、気遣うように私を見ている。視線を避けないように気をつけながら、罪悪感を軽口の中にまぎれさせた。
仮初の平穏が破られた時、きっと今とは比べ物にならない痛みを感じることになる。その先でも、私たちはこうして冗談を言い合えているだろうか。

 

 

 

 

fin

封神計画における太乙の存在価値は、ナタクを修理できることにある気がします。

[11/08/28]

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