いつまでも、ただ誇っていられたらよかったのに。
封神台には、人間界を眺めることができる場所がある。
魂魄体の側から干渉することができないせいか、そこへの出入りは全く制限されていなかったが、普賢は封神されてから一度も行ったことがなかった。
互いの距離は等しく保とうとするのが普賢の変わらないスタイルだ。
「まあ普賢ならそうするだろうな、とは思ったけどさ」
いれてもらったお茶を一気に飲み干し、道徳が言った。同時に柱時計が午前三時を告げる。非常識な時間にふらりと現れた道徳を、普賢はいつもと変わらない穏やかな態度で招き入れたのだった。
「太公望が封神計画を始めた時も、木タクが地上に降りた時も、
様子を見に行こうとはしなかったもんな」
「僕は二人を信頼しているから」
「俺だって自分の弟子のことは信頼しているぜ」
道徳はたちまち口をとがらせる。対する普賢はあやすような口調だ。
「天化くんがあの傷を負っていなかったら、今だって毎日なんて見に行かないものね。
ちゃんとわかっているよ」
「・・・まさか父親まで同時に失うとは思わなかった」
常の彼とは違う悲痛な表情だ。
封神台でこんな表情を見せる者は少なくない。
普賢はここで初めて会った獅子のたてがみを持つ男を思い浮かべる。魂魄体になってさえ溢れんばかりの生気をみなぎらせている人物だが、人間界を見た帰りには決まって重く沈んだ表情を浮かべている。残したものが多い彼も地上をながめに日参する一人だったが、とりわけ心に大きく占めているのは道徳と同じ人物に違いない。
健やかな笑顔が印象的な青年の現在を考えると、数度会っただけの普賢でも心が痛むのだった。
「まあ、ここも悪くないかな。筋トレだってできるし。それだけが救いだ」
「諦めちゃだめだよ。まだわからないじゃない」
「わかるんだよ」
力ない呟きには妙な確信がこめられていて、普賢は慰めが無意味だと悟る。
恐らく今この瞬間、地上の青年は死地に向かってひた走っているのだ。
その死地がどんなものなのか、人間界の動向に疎い普賢にはわからなかったが、座して死を待っているのではないことだけは想像がついた。
青年のひたむきな瞳を思い出す。彼なら自分の信じる未来に自ら飛び込んでいくのだろう。わき目もふらず、制止も聞かず、一目散に駆けていくのだろう。若い命の命じるままに。
(君はそんな弟子をいつも誇らしげに見つめていたよね、道徳。)
「いま天化くんは、誰よりも曇りのない心でいるのかもしれないよ」
普賢の言葉に、道徳は虚をつかれたように目を見開いた。
「・・・そうかもしれないな」
空が白んでいく中、来た時に漂わせていた険しさを悲しみに変えて、道徳は帰って行った。
普賢は窓辺に腰かけ、空が移り変わるのを見つめる。
駆け抜ける命と、それを取り巻くたくさんの思い。
ここからでは見ることができないそれら全てを、普賢は痛切なまでに感じていた。
夜明けが来る。
fin
天化封神まぎわ。
[2010]