飛虎さんあれこれ

 

封神世界で父といえば飛虎さん!というわけで父の日を記念して飛虎さんについてあれこれ語ってみたいと思います。思いついたまま書き散らしたため、話があちこちに飛んで脈絡がありません。読みづらくてごめんなさい!

 

 

以前ブログの記事で「飛虎は現実主義的なのに直感も重んじているところが不思議」というようなことを書きましたが、改めて考えると直感を重んじるというのも飛虎なりの現実主義なのかもしれないと思います。

世の中というのは自分の了解しえない枠組みで動くこともあって、理詰めでは理解できないこともままあります。理屈で太刀打ちできないなら頼りになるのは直感、というのはある意味で現実的なのかもしれません。

自分の知らない論理の存在を前提としているから、飛虎はいち早く妲己が殷を滅ぼそうとしている可能性に気づけたのではないでしょうか。

切れ者揃いの封神世界で決して目立った存在ではない飛虎ですが、こうした現実的な賢さで彼に並べる人はそう多くない気がします。

 

 

何事につけおおらかに構えている飛虎ですが、そんな彼でも弱音を吐くことがありました。王太子戦後の太公望とのやりとりは、ちょうどタイボン直後のやりとりと二人の関係が入れ替わっていて印象的です。また飛虎のような人にまで弱音を吐かせる太公望の度量の広さを改めて実感するシーンでもありました。

同時にあのシーンからは飛虎の誠実さや聡明さも感じます。飛虎の悩みの内容は周軍にとってアキレス腱になりかねないものです。軍を率いていく頭が「戦えるかわからない」と言っているわけですから。

みんなが戦いに向けて心を合わせている最中です。たくさんの犠牲も払い、引き返せない道を踏み出したばかりです。そんな時に、犠牲を体現するような太公望に向かって後ろ向きな本音を話すのは、勇気がいることじゃないでしょうか。それでも飛虎が自分の気持ちを打ち明けたのは、一人で抱え込むことが自分にとっても周りにとってもよくないことだと気付いていたからのような気がします。

ところで結局彼はどうやって、二つの国への忠誠心に折り合いをつけたのでしょうね。「己の良しとする道を行く」「俺たちの殷は終わってしまった」といった内心を知る手掛かりになるセリフはあったものの、あくまで彼の心情のほんの断片を見せられたにすぎないような印象を受けました。

ですからこれは完全に想像なのですが、飛虎は結局双方を両立させたのではないかと思います。一度でも誠意を尽くした相手を完全に切り捨ててしまったら、飛虎のような人はあんなに清々しく「己の道を行く」ことを宣言できないような気がするんですよね。

取り返しがつかないところまで腐り切ってしまった故国に引導を渡すということが、飛虎にとっての忠義だったのかもしれません。ちょうど道を誤ってしまった聞仲を自分の手で殺すことが彼にとって最高の友情であったように。

 

 

聞仲戦の時の飛虎の子供たちへの態度は、私にとって封神七不思議のひとつでした。というとオーバーですが(笑)

紅水陣を出るように促す子供たちの声に、飛虎は直接答えません。そして封神される時に呼んだ名も太公望でした。いっそ頑ななまでのスルーです。崑崙のために死んだ十二仙たちですら、死に赴く時には弟子や友人に対するアクションがあったので、飛虎の態度は最初冷たく見えて違和感がありました。

最初に考えたのは、子供たちを意識すると置いていくことにためらいが生まれてしまうという理由です。それも間違ってはいないのかもしれませんが、今はどちらかと言うと彼が最後まで「武成王」であることを貫いたからだという気がしています。

まだ戦いは終わっておらず、子供たちだけでなく一緒に戦ってきた仲間たちも自分を見ている。そういう状況で最後に呼ぶ名は、この戦いを率いる太公望でなければならなかったのかもしれません。

もしこの想像が正しければ、あの非常に情緒的な場面で誰よりも冷静だったのは飛虎だったことでしょう。それはとりもなおさず、彼がとうの昔にこの日を迎える覚悟を決めていたということを示しています。

では飛虎が一人の父としての立場を捨てて武成王であることを選んだのかと言うと、それも違う気がします。飛虎は他を切り捨てて、たった一つを選ぶ人ではないからです(聞仲と正反対ですね)。飛虎は自分が正々堂々と生き、その姿を見せることが、息子たちへの最高の贈り物だと考えていたのではないでしょうか。「俺を超えろ!」という天化への発言や、天化の飛虎に対する憧れ方から、黄家の教育方針が垣間見れる気がします。

 

 

飛虎は人を信頼するのが上手ですね。

太公望を「こいつは何かやる」と見込み、天化に「俺を越える」ことを期待し、聞仲に「弱い者を簡単に踏みにじれる奴じゃない」と言い切り。

ここに共通して言えることは、どの発言もその時点での現実とは一致していないということです。そのため飛虎の見込みは一見甘いようにも見えます。

でもこんな見方もできるのではないでしょうか。飛虎はのびしろまで含めたうえで相手の可能性を計っているのだ、と。だからその人の今より一回り大きく捉えているのだと。

その「一回り」の加減がまた絶妙で、非常に身の丈にあったのびしろを設定しているんですよね。このあたりからも飛虎の観察眼と直感が並外れて鋭いことがうかがえます。

もっとも、人を見る目はある程度意識的に作れるものかもしれませんが、信頼となると意識してするものではありません。だから飛虎の信頼の仕方は一種の才能なのでしょう。人の能力を最大限に引きだすような信頼を自然とできる飛虎。つくづく人の上に立つべく生まれてきた人なのだと感じてしまいます。

 

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