あなたに贈る白い花

 

「なんだい、太公望。今忙しいんだよ」
 

あるうららかな午後。いつものように勝手にラボに入り込んできた太公望に、何やら作業中の太乙は振り向きもせずに言った。

 
「知っておるよ。元始のジジイから一週間で宝具を作れと言われたらしいな。
 相変わらず無理を言いおるのう」
「知っていて来た君は、一体何の用なんだい?」
 

そうでなくても、無茶な納期で頭に来ている。太乙の声が尖ってしまうのも致し方がないと言えよう。

 
「単に本でも読もうかと」
 

しかも返ってくる答えがこれである。

 
「君ねえ。いつもここに入り浸っているけど、本くらいどこでも読めるだろう?」
「いや、ここの居心地のよさは格別だ!部屋の空気は主の気質を反映するゆえ、誇ってよいぞ」
「まったく、調子がいいんだから・・・」
 

ぼやきながらも、帰れとは言わない。太乙にはこの生意気な弟弟子がかわいくてしかたがなかった。

 

 
「わしは勝手にくつろぐから、お主は気にせず励んでくれ!」
 

人の神経を逆なでするようなことを爽やかに言い放って、太公望は仮眠用の寝台に腰を下ろす。座ることはできるが、眠ることができない寝台---この物の置かれ方からするに2,3日は使われていないのだろう、と太公望は推測する。
ということは、指令が下ってから太乙は寝ていないわけか。

太公望とて、協力する気がないわけではない。だが何かをしようかと申し出ると、太乙はいつも断るのだ。
意外とこういった作業が苦手な太公望は最初いたく自尊心を傷つけられたが、どうやら誰が協力しようとしても同じことらしい。要は太乙の性格なのだろう。

(まったく、これだからオタクは・・・)

一度も振り返らない背中に内心毒づき、太公望は書物に視線を落とす。
と、その最中に見慣れぬものが視界をよぎった気がして、太公望は今一度顔をあげた。

(なにか白いものが・・・あれか)

気にとめた物の正体を見て、太公望は意外な思いがした。彼の目の前の棚に、数輪の花が活けられた花瓶が置かれていたのだ。

 

「あれは一輪草か?おぬしが花を飾るとはのう。何事だ?」
 

太公望の知る太乙真人は、日常の彩りを花に求める類の人間ではない。少なくともこのように研究で忙殺されている最中は。
太乙は太公望に、ちらりとうるさげな視線をよこした。

 
「何日か前に玉鼎が持って来たんだよ」
「ああ、なるほど」
 

違和感がみるみるうちに氷解する。
無骨な武人の趣味のひとつが庭いじりだというのは、崑崙では有名な話だった。そして目の前の科学者との間柄も、公然の秘密である。もっとも十二仙同士の関係を本人の前で話題にできる命知らずは限られていたが。

 
「花を贈るとは、あやつもなかなかキザだのう」
 

その数少ない筆頭であるところの太公望は、さっそく冷やかしにかかる。

 
「どこからか、指令のことを聞きつけたらしくてね」
「ほう、指令が下ると花を持ってくるのか」
 

無言の行に入った太乙は、不用意な一言を悔いているに違いない。
太公望は可憐な花を怪しい目つきで眺めながら、よく回る頭を働かせる。

 

指令を下された太乙に、玉鼎はなにを感じるか。---心配、であろうな。
なにせこやつは研究が始まると寝食を忘れて没頭するからのう。

だからと言って、玉鼎は泊り込んで面倒を見たりする男ではない。いや、過保護な奴だから本当はつきっきりで世話を焼きたいくらいだろうが、その気持ちを抑えつけて太乙の希望を優先するだろう。
そうすると、研究が終わるまでここには寄りつくこともできなくなってしまう。

なるほど、それでこの花か。切り花は毎日水を替えねばならんからのう。日付もわからないような生活はできんわけだ。少なくとも一日に一度時の流れを意識させて、寝食のきっかけにさせようというのが玉鼎の魂胆か。
まあ、なんともあの男らしい気の使い方ではないか。

 

 
「なるほどのう・・・」
 

意味ありげに呟いてみるが、案の定華麗に無視される。太公望は更に推理を進める。

 

しかしあの花、実に見事だのう。切り花は傷みやすいというのに、まるで今刈り取ったように咲いておる。
きちんと水を替えておるのだな。自分は寝なくても水やりは忘れないということか。玉鼎が見たら、喜ぶのか嘆くのか。

それにしても先ほどの口ぶりだと、玉鼎が花を持ってくるのはこれが初めてというわけではなさそうだった。
となると太乙のやつ、本当に面倒なら水やり宝具でも作りそうなものだ。
しかしあの花瓶はどう見ても何の変哲もない花瓶だのう。
玉鼎の花だから自分で水をやるのだな。なかなか純情ではないか。何百年も生きているというのに。

 

「愛だのう・・・」
「さっきから何なの、太公望」
「ん?わしは何か言ったか?」
 

その日初めて実験器具から手を離した太乙の凍りつくような視線をかわして、太公望は書に目を落とす。
が、もはや読書どころではなく、この話をどう普賢に伝えようかと考えているのだった。

 

 

 

 

fin

たまには素直なラブもいい。え、素直さもラブも足りない?いっぱいいっぱいです(笑)

[2010]

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