前回の繰り返しになりますが、注意書きをもう一度。ここから先は客観性度外視の妄想になります。私の中の太乙像で結構重要な部分なので人目を気にせず語っていますが、「私の太乙像を壊さないで!」という方は読まないでくださいね。
そもそも私がこの考察を書こうと思ったのは、太乙に対して「戦闘員としては戦力外」というイメージが根強いような気がしたからです。酔狂なファンくらいは「太乙は実は結構強いのよ!隠しているけど!」と味方してあげてもいいんじゃないかと(笑)
前半で出した結論が正しいと仮定した場合、「太乙は弱い」というパブリックイメージはなぜ生まれたのかという疑問が浮かびます。作品が打ち出したイメージと受け手の感じ取ったイメージがずれてしまったのでしょうか。
私はそうは思いません。やっぱり太乙は弱そうに描写されているように感じます。
ではなぜそのような描写になったのでしょう。
それは太乙が「戦闘に出ない」という役割を課せられていたからではないでしょうか。
太乙が戦闘員として有能だったとしても、やはり彼の本領は宝具の開発及び修繕。医者まがいのこともしているようですから、後方支援の要だったことは間違いないでしょう。しかもこと宝具の扱いとナタクのメンテに関しては代わりのきかない人材です。
こういう人間が一人欠けた時の軍への影響というのは計り知れないものがあります。失礼を承知で例をあげるなら、玉鼎や道徳が死んでも基本的には彼ら分の戦力がなくなるだけ。太乙が死んでしまったら、他の戦闘員の戦いすら立ちゆかなくなる恐れがあるのです。
つまり太乙は生きていることこそが最重要。これは軍全体の戦力を考えなければならない太公望にとってはもちろん、太乙自身にとっても明白なことだったでしょう。とすると太乙は「生き残れるように」振る舞っていたのかもしれません。彼の「強さを隠す」言動は、彼自身の飄々とした性格と相まってごくごく自然なものに見えていますが、実は戦略的な面もあったかもしれないのです。
もし彼の描写にそこまでの意図がなかったとしても、太乙はやはりいざという時に仲間と運命を共にできるとは思っていなかった気がしますね。なにせ彼は優秀な技術者ですし、長年多くの仙道の上に立ってきた人です。恐らく現実的で分析的な思考回路の持ち主です。周りの人との距離感を見ても、自分の役割や立ち位置というものをよくわきまえている人に見えます。そういう人が無邪気に「一蓮托生」を信じるのは難しかったと思うのです。
「周りが死んでも自分は生き残る」覚悟というのがどれだけ重いものなのか、太平楽に生きている私などには想像もつきません。それでも作中一貫しておどけた言動と笑顔を貫いた太乙は本当に強い人だったのではないかと想像し、やっぱり太乙は素敵だといういつも通りの結論で終わりにしたいと思います。太乙最高!