太乙は意外と戦闘派だ!説

 

見た目通り線の細い太乙もおいしいですが、私は「能ある鷹」な太乙により一層の魅力を感じるのです。というわけで、原作準拠でまじめに検証してみました。戦闘派・太乙に賛同者が現れますように!

 

命題:太乙は戦闘員としても有能である

 

根拠1:初期の戦闘能力は太乙>ナタク(>太公望)である

太乙唯一の戦闘シーンは33回「武成王造反?ナタク発進!!」に登場します。
ここで太乙はナタクと戦うのですが・・・・あれれ、太乙あっさり勝っているぞ?
しかもこの時の戦いは知略を尽くした頭脳戦ではなく、純粋な力勝負。太乙の基礎的な戦闘力は決して低くなかったのです。
ちなみにこの時点で、ナタクは戦闘力で師叔より勝っていることになっています(11回「太公望vsナタク 空中大決戦!!」より)。ただ師叔の能力に関する記述はイマイチどれもあてにならないので、カッコ書きくらいにしておきましょうか。

 

根拠2:太乙は頭脳戦に長けている

太乙がナタクに助太刀した41回「九竜島の四聖?クラッシャーナタク」。ここで太乙は科学知識を応用して、ナタクを助けています。このシーンから太乙が持っている知識を有効に使って策を練れる人物だということがわかります。
しかも太乙の場合、その「持っている知識」が半端ではありません。なにせ「宝具の使い方は誰よりよく知っている」と自ら発言しているくらいですからね。武器を知り尽くしているということは戦闘の場で相当有利に働くことでしょう。

 

根拠3:太乙の臆病さは戦闘の妨げにならない

公式と真っ向対立してみます(笑)
封神大全には「太乙は臆病だから戦闘に不向き」と書かれていましたが、本当にそうでしょうか?
太乙が怖がる描写があるのは高所とナタクだけ。流血や戦闘シーンは、遭遇しても特に取り乱したりしていません。ナタク対王貴人戦でも、死んでいないとわかっていたとはいえ、息子同然の弟子のむごい姿を直視していました。
確かに戦場で「く〜、血が騒ぐぜ!(親父風に)」というタイプではなさそうですが、怖がりだから戦闘に不向きということもないでしょう。

 

根拠4:太乙は単に頭がいいだけではなく、仙人としての能力も高い

そうでなければ崑崙山2は動かせなかったでしょう。
上の一言に尽きるのですが、もうひとつ太乙の実力が予想以上だったかもしれないと感じられるシーンが。伏羲が仙道から力を集めているシーンで1コマだけ太乙が登場しますが、そのシーンの太乙は何やら管のようなものを装着しています。もしかしたらこの時も崑崙山にエネルギーを吸収されていたのかもしれません。となると崑崙+伏羲からのエネルギー吸収に耐えたことになり、やっぱり太乙の仙力も相当なものだったのではないかと推測できるのです。崑崙が本当にエネルギーを吸収していたかわからないので、ここはあくまでカッコ書きですけれどね。

 

根拠5:実は本人も戦闘にそこそこの自信があった可能性がある

これは若干こじつけですが(笑)
33回でナタクと戦う前に、天尊からナタクを出撃させるよう要請されています。
これに対して太乙は最初「私が行きましょうか」と応じています。
まだこの時点で敵の情報は一切なし。相手もわからないのに出陣しようとしたのですから、太乙は自分の戦闘力にそれなりの自信があったのではないでしょうか。
少なくとも「ナタクが倒せる敵なら自分でも相手ができる」と考えていなければ、あのセリフは出てこなかったはずです。
それなのに直後に「戦闘は苦手」と自ら言っているのは、あくまで「十二仙としては」の発言だったのではないかと思います。
確かに「崑崙一」まで宝具開発を極めた太乙にとって、到底その域に及ばない戦闘の実力は心もとないものだったでしょう。何かを極めた人って完璧主義の場合が多いですし。

 

 

よって太乙は戦闘員としても有能だったと言えるのです。Q.E.D

ところで以上の仮説を元にした私的太乙像みたいなものがあるのですが、一応客観を旨としたここまでとはあまりにも毛色が違ってしまうので、後半を設けて語ってみたいと思います。「私の思う太乙と違う!」のが許せる方はよかったらおつきあいください。

Back 後半