2、断
「君の顔を見たくない」
「随分なあいさつだね」
どこ吹く風といった風情の僕に、太乙は不愉快そうに眉を寄せた。
何かを言われる前に、僕は彼の洞府にあがりこむ。主も歓迎する気はないようだけど、寒い戸外で押し問答をするのも嫌なのだろう。わざわざみぞれが降る中をやってきて正解だったかな、と思う。もっとも門前払いにするほど大人げない人でもない。
勝手知ったる家なので案内を待たずに歩き出すと、後ろから鈍い足取りがついてくる。一瞬目に入った苦い顔には、もちろん気がつかないふりだ。
居間の扉をやや乱暴に閉めた太乙と、改めて向き合った。
「この前はごめんね」
「まったくだ」
吐き捨てるような答え。太乙を知っている人なら、彼がこんな物の言い方をすることに驚くだろう。
僕自身、太乙が怒りを露わにしているところなんて見たことがなかった。それが過ごした時間の短さのせいばかりとも思えない。
「この前のことなら、何度来たって無駄だよ」
「わかってるよ。あきらめた」
両手を軽く上げておどけて見せる僕に、太乙は不信感丸出しの視線を容赦なく浴びせる。
「太極符印を改造してくれない?」
僕の持ち込んだ依頼を、最初太乙はもろ手を挙げて歓迎した。
太乙は宝具に関わるあらゆる作業が好きだった。発明はもちろん改造やメンテにも手を抜かず、宝具の性能が最も高まるように全力を尽くす。崑崙一の技術者と言われるゆえんだ。
「もちろんだとも!ちょうど手が空いていたんだ。太極符印には興味があったしね」
予想通りの反応だった。
僕の宝具は天尊様が直々に授けてくださったもので、ここ最近の宝具の中では出色の出来だと評判だ。太乙の血が騒がないはずがない。
「で、太極符印をどうしてほしいんだい?
聞いた話じゃ、随分色々なことができるようじゃないか」
少し冷静さを取り戻した太乙が、当然の質問をしてくる。僕は普段通りの口調を心がけて答えた。
「自爆機能をつけてほしいんだ」
「まあ君が馬鹿な考えを捨ててくれたならよかったよ」
普段は機械音の絶えない部屋に、太乙が歩き回る神経質な音が響く。
「大体、太公望が喜ぶとでも思ったかい?君がそんなに馬鹿だとは思っていなかった」
腹立たしくて仕方がない、というように太乙の口調はどんどん熱を帯びていく。
真剣さが伝わってきて、罵られているのにうれしい。と同時に、そんな太乙に辛い思いをさせることに、心が痛んだ。
「望ちゃんが喜ぶなんて思ってないよ。
でも望ちゃんが喜ぶことが、望ちゃんにとって一番いいことだとは限らない」
「太公望より君の方が、それを知っているって言うの?」
「太乙。僕がなんのためにここまで努力してきたと思っているの」
50年足らずで十二仙に選ばれるということが、どういうことか。楽な道では決してなかった。もっとも辛いと思ったことは一度もないけれど。
すっと、太乙が目を細めた。
「普賢。用事があって来たんだよね」
低く、感情を押し殺した声。こんな声を出す太乙も初めてだ。
「なにか言いたいことがあって来たんだろう、普賢。言いなよ」
「さすが太乙。鋭いね」
普段はへらへらと笑っていても、やはり十二仙だ。冷えた空気をまとった彼は迫力がある。
気圧されないように、僕は笑った。太極符印を手元に呼び出すと、化け物を見るような視線が注がれた。
「自爆装置は完成させた。君にはこの改良をしてほしい」
+
やっぱり------。
めまいを感じて手近な椅子にふらふらと腰を下ろす。
感情がこんなに暴力的なものだなんて、長いこと忘れていた。
あのまま普賢が大人しく引き下がるはずがなかったのだ。私は最初からそのことをわかっていた。
彼の言う通り、彼の人生のほとんどはそのために費やされてきたのだから。
ただ認めたくなかっただけだ。
「今の状態でも自爆装置として確実に機能する。ただその力を最大限に高めたいんだ。
たとえば計算上は2秒で起動できるはずだけど、
僕の技術力じゃ4秒もかかるプログラムしかできなかった。
爆発の威力だって、もっと大きくする余地があるかもしれない」
淡々とした言葉は、感情を抑えて平静を保つような不自然さが感じられなかった。事実、彼の内面は秋の空のように澄み切っているのだろう。だから無邪気とすら言える笑顔を浮かべている。まるでいたずらの成功した子供のように。
「今度は引き受けてくれるね、太乙。君が断ってもどのみち僕は死ぬんだ。
それなら犬死のリスクを減らすように君は協力してくれる。そうでしょう?」
「・・・どうして君が死ななきゃならないの」
「何言ってるの、太乙。君だって命を賭ける覚悟はできているじゃない」
あしらわれているのか、なだめられているのか。自分より遥かに若い仙は、子供に対するようだった。
「死ぬ前提に立つのは全く別の話だろう」
「別に何が何でも死のうってわけじゃないよ。
なにせ一世一代の大技だからね。安売りするつもりはないって」
「そっちこそ何言ってるんだよ。
自爆なんてオプションがあって、君が使わずにすむわけがないじゃないか」
「うん、そうだね」
あっさり肯定されてしまった。絶望感が押し寄せてきて、私は両手で顔を覆う。
「君は残酷だね」
無様にも声は震えていた。
「太乙」
「みんなが君を愛していて、君が死んだら悲しむのに、その気持ちは顧みてくれないんだ」
こんな非難は卑怯だと、わかっている。それでも私にはもう、他には何も残されていないのだ。
短い沈黙のあと、普賢が口を開く気配を感じた。理路整然と饒舌に反論されるのだろう、と私は身構える。
けれども発せられた言葉は意外に短かった。
「そうだね」
本当にそうだ、と独り言のようにもう一度呟く。そこに先ほどまでの勇ましさはなかった。私は唐突に理解する。
迷いがなくても、強く思い定めていても、心が痛まないはずがないのだ。
自分の消滅する未来を見据え、それによって傷つく者を思い。
(それでも君は決めたんだね、普賢)
もうどうにもならないのだ。
「・・・わかったよ」
しっかりしろ、太乙。
手を顔から外すと、普賢のほっとした表情が目に入る。よく「憎たらしい」と言われるへらりとした笑みを、無理やり浮かべた。上手く笑え、太乙。これからはきっと、笑わなければいけないことばかりだ。
「ありがとう、太乙」
「とりあえず太極符印を預かるよ。それでリクエストはなんだって?」
「細かいことは君に任せるよ。
この自爆装置ができるだけスムーズで強力に作動するようにしてほしいんだ。
・・・痛いのは嫌いだから、できるだけ早く終わるようにね」
楽しそうにすら振る舞う彼が見せる、一瞬の弱さ。望まれていることは知っているから、感傷的にならないように毒を混ぜる。
「死ぬ気の人間が痛いのが嫌いだなんて、笑っちゃうね」
「人を自殺志願者みたいに言わないでほしいなあ・・・どのくらいかかる?」
「三日・・・一週間もらおうかな。引き受けたからには、最高のできにしてみせるよ」
「頼もしいね。・・・それじゃあ僕は邪魔しないようにお暇するよ。よろしくね」
すぐに取りかかる気なんてなかったけれど、早く一人になりたかった。
普賢にもそれはわかっていたのだろう。言葉通り扉に向かう。
作業を始めるふりをして机に向かった私の背に、声がかかった。
「太乙」
「ん?」
私は振り返らずに応じる。普賢の口調はいつもと変わらず穏やかだ。
「君に必要なのは、生き残る覚悟かもしれない」
「どういうことだい」
「そのままの意味だよ」
私を取り残すように、ぱたんと扉が閉まる。
遠ざかっていく普賢を、私は窓から見送った。一度も振り返らない彼は、私がこうして見ていることになんて気づいていないだろう。みぞれが降りしきる中段々と小さくなっていく普賢を見つめていると、「儚い」という言葉を随分長い間忘れてしまっていたことに気がつく。仙界と相いれないその感覚は、これからどんどん親しいものになっていくのだろう。そんな予感がした。
振り切るようにカーテンをひくと、ほんの少し部屋が暗くなった。
[2010]