どうにもならない

 

 

1、暖

 

 

 

日付が変わろうという時間。突然訪れた来客を、夜着の玉鼎は当たり前のように迎えた。

 
「泊めて」
 

押しかけた方も拒否されるなど欠片ほども思っていない。
寒さから逃れようと、返事も待たずに太乙は扉の中に身体をすべりこませる。
昼間のみぞれが雪に変わって随分経ち、太乙が歩いてきた道も薄い白に覆われていた。

 
「あー、寒かった」
「飲んでるな、太乙」
「うん、だから口直しにお茶ちょうだい」
「口直しが必要な酒だったのか」
「妙なところ鋭いよね、君」
 

からかうように細まった目に酔いの色がないと、玉鼎は気づく。
暗がりの中でもはっきりとわかるくらい頬は赤く染まっているのに、この冴え冴えとした瞳はなんだろう。

 
「・・・ちょうど新しい茶が手に入ったばかりだ。おいで」
 

手を取り、洞府の奥へと進む。いつもひんやりした太乙の手が、今は凍えそうに冷たかった。

 

 

 

急須から流れ出す深緑が、白磁の湯飲みにおさまっていく。
いつだったか太乙は、お茶をいれる玉鼎の姿が好きだと言った。そんな彼の自分を見る目つきが何か物珍しいものに接するようだと、玉鼎は思う。
お茶を受けとった太乙は早速口をつけると、ほっと息を吐きだした。

 
「相変わらずおいしいね、君のお茶は」
「そうか」
 

言葉少なな玉鼎は、様子のおかしな太乙への心配を滲ませていたが、詮索するような気配はなかった。視線の合わない太乙を、何を期待する風でもなく見つめている。特に意図があっての態度ではない。玉鼎としてはただ自然に太乙と向き合っているだけだ。
一方そんな態度に甘えている自覚のある太乙は、自嘲気味に口を開いた。

 
「急に飲みたくなってね。洞府で一人で飲んでいたんだ」
「飲まないお前が珍しい」
「うん。それでね、飲みながら考えてたんだ。2秒と4秒の差にどんな意味があるだろう、って」
「2秒と4秒?」
「うん。君はどう思う?」
 

謎かけのような問いに、玉鼎は眉を寄せた。
問いの意味はわからないが、的確な答えを求められているわけでないことはわかる。太乙は技術者らしく、ほしい答えに直結する明瞭な問いの設定ができる男だ。

 
「倍、だな」
「倍だねえ」
 

長いこと考え込んだにも関わらずあんまりな答えを返して照れ笑いをする玉鼎に、今日初めて太乙が屈託のない笑みを見せた。

 
「じゃあ、剣士にとってはどうちがう?」
「剣士にとってか・・・」
 

わかりやすいようで、漠然とした条件だ。なにを言ったらいいものか、と玉鼎は少し悩むが、結局一番シンプルな答えを選ぶ。

 
「4秒だったら、2秒の時の倍以上の敵が斬れるな」
「倍以上なんだ」
「4秒くらいなら、加速が続くから」
「なるほどね」
 

うなずく動作は、うなだれるように力がない。そのまま言葉もなく顔をうつむけている太乙に、玉鼎は歩み寄り、肩に腕をまわした。細い肩が、今日はいつも以上に頼りなく感じられる。

 
「大丈夫か、太乙」
「玉鼎」
 

玉鼎の腕に、太乙が顔をうずめる。震えるような細い声だ。

 
「抱いて」

 

 

 

 

赤い顔、うるんだ瞳、跳ねる身体。
常よりも乱れるのが早い気がするのは、酒の効果なのだろうか。

 
「おまえは美しいな」
 

ゆっくりと動きながら、玉鼎は太乙の白い身体に口づけする。

 
「・・・もっと動いて」
「お互い年なのだから、無茶は身体に毒だ」
 

どこまでが冗談なのかわからないのが、玉鼎の軽口だ。ふふふ、と太乙も笑う。

 
「武人がこのくらいで音をあげていいの?」
「これは戦いじゃないぞ」
 

煽っても無駄だ、と玉鼎はゆるやかな動きを保つ。互いの体温が、常よりも高い。
玉鼎の手が、そっと太乙の頬に触れる。

 
「なぜそんな顔をする」
「そんなって、どんな」
「今にも泣き出しそうだ」
「失礼だね。微笑んでいるんだよ、これでも」
「泣き出しそうな顔で、笑っている」      
 

ゆるやかに上りつめていく。その途上にいる。
太乙の目は、ずっと遠くを見つめたままだ。

 
「君たちは」
 

口を開いた太乙は、ほとんど上の空だった。話していることの自覚があるのか、ないのか。そんな危うい口ぶりだ。

 
「敵を殺す」
 

思いがけない言葉に、玉鼎の動きが弱まった。
それを咎めるように、太乙は玉鼎の首の後ろに腕を回し、身体を引き寄せる。二人の距離がぐっと近づいて、玉鼎は動くスピードを速めた。

 
「私は、味方を殺す」
「・・・・・・」
「だから君たちは死んで、私は生き残る」
 

言いたいことが尽きたのか、話せないのか、あとは激しい呼吸が続くだけだった。玉鼎も何も言わず、抜き差しを繰り返すことに集中する。
境界なんてなくなって、一つになってしまえればいい。二人はかたく抱き合って、絶頂を迎えた。

 

 

 

 

嵐が去った後の甘い倦怠感の中。並んで横たわる二人は、呼吸が落ち着いた後もしばらく黙って天井を見つめていた。

 
「なにも聞かないんだね」
 

沈黙を破ったのは太乙だった。

 
「おまえの話はよくわからなかった」
「だろうね」
 

玉鼎はいつでも率直だ。長い付き合いを経ても、太乙にはそれが時々くすぐったい。

 
「時間の質問の意図もわからぬし、おまえが味方を殺すなどという世迷言がどこから出てくるのか、
 見当もつかない。だが、おまえの震える心ははっきり見えるよ。それで十分だ」
「・・・君は私に甘すぎるよ」
「いけないか?」
 

軽やかに笑って、太乙を引き寄せる。剣を振るう時ですら優しい手が、黒い髪を繰り返し梳いた。

 
「共にあるよ、太乙。どんな時も・・・」
 

 
(君は強いね)
 

約束とも、誓いとも違う。ただ事実を述べるような曖昧さのない言葉を聞きながら、太乙は目を閉じる。
力強い言葉、時を超え存在し続けてきた肉体、なにもかも受け入れてしまう優しい人。
そのすべてが自分を向いている至幸の瞬間にさえ、この心は否定しようのない冷たさを抱えている。
玉鼎にも自分にもどうにもならない、底冷えのするものを。

それを知っていながら、共にあると玉鼎は言うのだ。太乙にはそのことが奇跡のように思えた。

 

 
「・・・眠ってしまったか」
 

武人にはあまりにも繊細な指が、太乙の目尻にたまった涙をぬぐう。
あとには雪夜に似つかわしくない、暖かい静寂だけが残った。

 

 

 

 

[2010]

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