歩き出せ、クローバー

 

未知のページ 塗りかえられるストーリー 風に向かい

 

仙界に来た理由をあやつに話したのは、出会ってかなりが経ってからだった。
同情やあわれみなんて煩わしい。口を閉ざす理由をそう考えていたが、同時にあやつが安易な慰めをかけるような奴ではないこともわかっていたのだから、やはりわしの心の整理がついておらんかったのだろう。
初めて切れ切れに過去のできごとを語った時、あやつは強いまなざしでわしを射抜いた。

憎むな、なんて言わないよ。
でもその感情は、君が周りの人たちを愛していたから生まれたものでしょう。
君の原動力は憎しみなんかじゃないんだ。
だから。

「もっと君の故郷の話を聞かせて」

 

思えばあの時、すべてが始まったのだ。

 

 

 

歩き出せ 若くて青いクローバー 裸足のままで

 

ある日、望ちゃんが修行をサボった。
強い予感に導かれて仙界唯一の草地に行くと、案の定そこに望ちゃんはいた。
ふくらはぎまで届く草の中、望ちゃんはただ立ち尽くしていた。
背中に触れられる距離まで近寄って、立ち止まる。地面に広がる緑の隙間から彼の小さな足がのぞいていた。
僕もそのまま立ち尽くした。青い匂いでむせ返りそうな中で深く呼吸を繰り返した。世界中に僕らしかいなくなったみたいにとても静かだった。

 

今の君にはまだ何もない。
その剥きだしの白い足じゃ、今立っている柔らかい地面を出ることもできない。
だけど君はちゃんと前を見ている。ここからだって、君も自分でわかっている。
それでも不安になることだって、たまにはあってもいいよね。

 

「普賢」

どのくらいそうしていただろう。望ちゃんが振り返った。

「どこで靴を脱いだのか思い出せぬのだ。一緒に探してくれぬか」

困ったように笑う彼の瞳に、もう迷いの色はかけらもなかった。

 

 

 

過ぎた恋のイメージに近いマーク 指で描き

 

わしはあやつのことをずっと好いておった。
だがそうと認めてしまうことには、どこかでためらいを抱いていた。
失うことを恐れる気持ちは、いつか戻れぬ道を行くときの枷となるやもしれぬ。
なんとまあ子供じみた考えだったことよ。失い難いものを持たぬなど、人であることをやめるに等しいというのに。

わしはあやつのことをずっと好いておった。
口にしたことはなかったが、一時も絶えたことのない事実だった。
もしかしたらそれは愛とか恋と呼ぶこともできる感情だったかもしれぬ。
通り過ぎてしまったものたちに未練がないでもないが、一番大切なことは変わらず胸の内に続いておるから、そう口惜しくもない。

「行ってくるよ、普賢」

遠ざかる崑崙に向かってそっと語りかける。
わしはおぬしが好きだよ。

 

 

 

流れ出す 自由で激しいメロディー 一人きりで

 

僕は忘れてはならない。
混沌とした世界に身を投じようとするその確かな足取り。
春風が鋭い刃を取り巻いているような君の在りよう。
一人きりで遠ざかっていく背中。

君はこれからたくさん仲間を得ていくだろう。
けれどどんなに人が増えていっても、君はどこまでも一人きりだ。
かけがえのないはずの誰が減っても、君は歩き続けていく。最後の一人になっても、君は立ち続ける。
そうでなければ君の夢は達成できない。

望ちゃん、どうか忘れないで。
僕は僕の決意の揺るぎなさを自分に確かめて、最上級の微笑を浮かべる。

 

 

 

戦闘機よりもあからさまな 君の声 優しいエナジー

 

あやつはいつも静かに話す。
男には細すぎる声は柔らかくて、とてもじゃないが目立つ声とは言えない。
それでもどういうわけか、いつも耳にまっすぐと届くのだ。
望ちゃん、と。
くっきりとした輪郭を持って、周囲の空気との明瞭な境界線を引いて、浮かび上がるように。

星が落ちようと足元の地面が崩れようと、どんな喧騒の中にあってもこの声だけは聞き逃さない。

 

 

 

歩き出せクローバー 止まらないクローバー

 

勝ったぞ、と教えに来てくれたのは玉鼎だった。
太公望も、おまえの弟子も、太乙も、道行も、みんな無事だ。
ありがとう、わかっていたよと返すと、おまえは本当に信頼しているんだなと玉鼎が言った。
珍しいことに、ちょっとうらやましそうにも見えた。

彼も去って一人慣れない空間に座っていると、前触れもなく涙があふれてきた。
涙が流れだすと、追いかけるように悲しみが胸に満ちてきた。
武成王がいない。玉鼎がいない。道徳がいない。僕がいない。
僕はここにいて、みんなすぐにでも会いに行けるのに、涙が止まらなかった。
望ちゃんが泣いているのだ。だってこれは僕の悲しみじゃないもの。
悲しんでくれたらって思っていたけれどこんなに早く泣いてくれるとは思っていなかったから、正直僕は驚いていた。
立ち上がれなくなることを恐れて先送りにするのかもしれない、と思っていた。
玉鼎、僕の信頼もまだまだみたいだよ。望ちゃんは僕が思っているよりずっと強い。

君の悲しみと僕の誇らしさをたくさん、そして二人分の痛みまで含んだ涙は、ほんの短い時間で乾いた。君は仲間のところに戻って行ったのだろう。
ありがとう、望ちゃん。大好きだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

熱い投げキッス 受け止める空

 

いつも何かに突き動かされてきたから、あてどなく歩いているとなんだか不思議な気分になる。
この先になにがあるわけではなく、誰が待っているわけでもない。そんな風にそぞろ旅をするのは、果てしなく自由で少し寂しい。
・・・・・・本当にそうだろうか。どこまで行っても、この青い空の下にいることは変わらないというのに。

「世界中が曇ってしまったら、顔を見に行こうかのう」

首をひねって真上を向けば、顔中に陽光が注いでくる。眩しさに目を閉じると、太陽に焼きつけられた美しい青色がまぶた裏に広がっていた。

 

 

 

 

fin

2011年お正月記念。
緑字はスピッツ「歩き出せ、クローバー」より。太公望→普賢→太公望→・・・・のつもり。
今年もよろしくお願いします。

[11/01/02]

Back