他愛もなく、幸せ
太陽が高かった。
陽が注ぐ。地上のどこにもまんべんなく降る。誕生の祝福のように。
遠い光は優しい形をしている。
「こんな日は出かけるに限るよ」
気が向くままに計画を立てるのは太乙の特技だ。
唐突さに驚くたび、玉鼎はこんな気まぐれを秘かに期待している自分に気づく。
「サンドイッチ作って、チーズを切って、苺を洗って。
さくらんぼ酒も飲みごろだね。小瓶に分けて持って行こう」
思いつくままバスケットに詰めていく。
歌なんて口ずさみながら、太乙はいつになく朗らかだ。
「その曲は?聞き覚えがある」
「なんだっけ・・・?」
太乙は手を止めて、記憶をたどる。
途切れた旋律をもう一度頭から繰り返した。とても素直なメロディだった。
「なんか急に浮かんだんだよねえ。なんて曲だったかな」
短いフレーズを繰り返すたび、バスケットの中身が増えていく。
どうせこんなに食べないのに。玉鼎は苦笑する。
+
美しいと思うのはいつも自然にあるものだ。
人の手が作るものももちろん悪くはないけれど、本当に心惹かれるのは生み出されたあとの見えない素朴な存在。
けれどむしろ、この歌は。
+
川辺を並んでゆっくり歩く。
重なりそうで重ならない影は短い。
なんだかんだで重くなったバスケットは玉鼎の担当で、太乙はさくらんぼ酒の瓶を裸のまま持っている。
ぶらぶら腕を揺らすたび瓶の中身がたぷたぷ鳴って、川のせせらぎに混じる。
「この辺でよくないか?」
「適当に妥協しちゃだめ。それに準備が一番楽しかったりしない?」
「場所が見つかるまでが楽しいのか?」
「見つかっても、一番楽しいままだよ」
踏み出す一歩と言葉の軽やかさがシンクロする。
暑くも寒くもなく明るすぎも暗すぎもしない。気持ちの良い風に背中を押されて、このままどこまでも歩いていけそうだ。
+
太陽は燦然と輝く希望などではない。
それは最もありふれた希望だ。
雲に隠れ、強い風に姿を現す。昇って沈むを繰り返す。あるべき時にあるから美しいのだ。
+
青い空。白い雲。
違う、今日は雲はなかった。
どこまでもどこまでも続く青に、穴をあけたみたいな太陽。
芝の上に直に座ると、地面の熱を肌で感じる。
時代がどれだけ進んでも、人はこの上で生きていく。
「気持ちいーね」
「そうだな」
「静かだね」
「そうだな」
「楽しいね」
「そうだな」
「そればっかり」
「来てよかった」
結局並べられた食べ物はほとんど手つかずのまま。
さくらんぼ酒ばかりが減っていって、あたりに甘い香りが漂う。
太乙は玉鼎の肩に頭を預ける。呼ばれたように、歌が唇に宿った。
「思い出したか?」
「ううん。玉鼎もだめ?」
「どこかで覚えてはいるんだが」
「そうなんだよね。なんか懐かしいもん」
「なんでもない曲なのにな」
「なんでもないから懐かしくて優しいんだよ」
ふああと太乙の口から欠伸が漏れて歌が途切れると、玉鼎がのどの奥で笑った。
低い声があとを引き取って、音楽がよみがえる。
生まれる前から知っている心地よさに、太乙は目を閉じた。ここは母の胎の中だ。
fin
The Beatles「Here Comes The Sun」。
みなさまのおかげで無事1周年を迎えることができました。ありがとうございます!
[11/04/07]